情報とはなんだ

先日,学部時代の先輩Hさんと(と言ってもこの2月に彼は助教になったわけだが)と飲みながら議論をしていて,
思ったコトをまとめておく.



コトの発端は,「テレビはもはや必要じゃない」という言葉.
新聞(かわら版)→ラジオ→テレビの次のパラダイムシフトがインターネットでは無いことは共通意見だったのだが,どうも議論が噛みあわないなぁ〜っと思っていたら.
そもそも情報というコトの概念がズレていることに気づいた.




Hさんにとって情報は事実や事象なのである.
つまりライブがベストであり,例えば野球放送の場合は実況は副音声*1で十分ある.
なので,Twitterなんて最低・最悪であり情報学の学士を持ってる人間がすることではないと言うのである.



ボクは真っ向から対立した.
いまの時代事実や事象を知っているなんて言う事に意味は無くなった.
ボク達インターネットの利用者のレイヤーに情報が降りてくる頃には,確実に2次,3次情報である.
事実や事象を知っている事に,意味があるのは1次情報を入手した場合のみである.
少し前までは,2次,3次でも意味はあった,それは情報の伝達に時間がかかりインセンティブを取れる期間があったからである.
しかし,今や2次情報以降のn次情報(n>1)は取るに足らない情報となりつつある.

これから必要なのは,事象や事実を見た多くのヒトが何を感じるのか?何を考えるのか?何を想うのか?
それが,本来の情報なんですよ.っと意見した.



情報の語源は,戦時中に,相手の軍隊の士気(すなわち「情」)がどの程度か報告することであったのである(って何かで読んだ気がする....)

つまり,情報の「情」を辞書で調べても解るように*2感情や心情の「情」なのである.っと





だから,Twitterで感情や思想をダラダラとしゃべり合うことに意味はあし,
その情報を使って利益を出すことはできると想う.
ノイズはあるし,ネタだよね?って思うことを本気で言ってるヒトもいる.
でも,本来の情報を共有出来るようになった.
っという意味ではネット社会も一つ階層を上がったのではないか?
なんて事を考えてると,情報工学じゃなくて,社会学的な情報学について大学院に行きたいなぁ〜
って,想う今日この頃....

*1:設定によってON/OFFが切替えられる

*2:思案所(しあんどころ)の意味 - goo国語辞書