結婚式のスピーチ(想定していた文章全文)

Oくん,Mさん,本日はご結婚おめでとうございます.
また,両家の皆様,本日は真におめでとうございます.



ただいま紹介にあずかりました,私,新郎0くんの大学院時代の同期でYと申します.
本日は,0くんの人となりを紹介できたらなっと思っていますので,聞いてください.



私とOくんは,R講座,O研究室の同期でして,同じIグループでに所属しておりました.
Iグループには,非常に厳しい先輩が,,,,Kさんといいますが,,,がおられまして,
Kさんにビシビシとしごかれながら,すくすくと育てきたなかです.



Oくんと始めて会話した時の事を忘れる事はできません.
ある日,研究室にOくんがキーボードを携えてきました.
もちろん研究室のパソコンには備え付けのキーボードがありますので,
私は不思議に思って,何に使うのかを尋ねました.
すると,彼はこう答えたんですね.
「あのね.カーボーイって言うのは,砂漠で馬がダメになったら捨てていくけどね,どんなに砂漠の中を歩くことになろうとも,靴は持って行くんだよ.靴はインタフェースだからね.だからボクはキーボードを持ってきたんだ.」*1
私は完全に混乱しましてね.「彼はカウボーイなのか?」「九州にはカウボーイがいるのか?」ってね



そんな彼ですが,0くんの事を知ってる皆様は御存知の通り非常に魅力的な男でしてね.
いつもヒトの中心にいてリーダシップを発揮してまして,彼の良さをあげるときりが無いんですね.
例えば.プログラミングが得意,とか.サーバの管理が出来る,とか.キーボード打つのが早い,とか.
まぁまぁ,他にも色々ありますが,
その中でも私が彼の一番の魅力だなっと思うのはその「面倒見の良さ」だと思います.
その「面倒見の良さ」が顕著に表されているエピソードを紹介したいと思います.



あれは我々がM2修士2年になり,新しい学生が研究室に配属されてきた時のはなしです.
新しく配属されてきた学生の中に少し畑違いといいますか,
大学院時代に,プログラムを全く書いたことが無いという後輩が研究室に配属されてきました.


我々の研究室では,上位学年が一つ一つテーマを新入生に教えるというのが研究室の慣例でして,
担当毎に課題を出すという形になっていました.


その学生は,なにぶん慣れない内容ですから分からないことだらけだった訳ですね.
(そんな時に一つ一つ丁寧にやってみせ,言って聞かせて,させてみて,褒めて,まるで山本五十六の様に
賢明に指導していたのがいまでも記憶に残っています.)*2

Oくんはいつも,その学生の隣に座って,情報技術というのがいかに楽しくて・面白いか,
windowsはサラリーマンだけど,Linuxはカウボーイなんだよ.「お前カウボーイ好きやなぁ〜」っと言うような話をしていました.

その甲斐あってか,その学生はプログラムを嫌がることもなく,
その学生が非常に頑張りやさんであったことも相まって,無事に課題を全てこなすことに成功して,
もちろん大学院も卒業し,いまでは某携帯メーカでソフトウェア関係の仕事に従事しています.



お気づきの方もおられるかも知れませんが,その学生が新婦のMさんなんですね.
っと,それを思い出しながら,この姿を見るとですね.
彼が説いていたのは,情報技術の素晴らしさではなく,実は口説いていただけかも知れませんね.




さて,本日OくんとMさんは新しい門出を迎えたわけですが,
この先,楽しいこと,楽しいこと,ちょっと大変な事,楽しいこと,楽しいこと,ちょっと大変なこと,
大変なこと,あれどうしよう?っと壁に直面することもあるかと思います.



その壁を乗り越える為に必要なのは,お互いを尊敬しあって,慈しみ合って,慰めあって,支え合う,事が大事だと思います.
そして,きっとそう言うのを全部まとめて「愛情」って呼ぶんだと思います.*3


「愛情」と言うのは不思議なものでして.
例えば本日,0くんとMくんは,私や,ご来賓の皆様に愛情を振りまいてくれていて,私たちはその「愛情」を受け取っていると思うんですね.
じゃぁ,0くんとMさんの「愛情」は皆に配ってしまったので無くなってしまうのかというと,決してそんなことはありません.



つまりね,「愛情」っていうのは,いくら配っても,分け与えても決して減ることはないんだけれど,貰った方は確実に愛情を感じて心に蓄える事ができるんです.*4



ですので,二人でしっかりお互いの事を愛しあって,時には,我々にもフィードバックしながら,
愛情あふれる家庭を築いていただきたいと思います.

本日は真におめでとうございました.末永くお幸せにお過ごし下さい.
以上です.

*1:注1.本来は「靴」ではなく,「鞍」でした.謹んで訂正させて頂きます.

*2:注:この部分は本番では完全に飛んでます.前半のカウボーイの話のウケが良かったので,一応用意していた下のエピソードに変えました.

*3:実はこのパラグラフは,結婚式の最中の神父の言葉から思いつきました.本当はもう少し別の文を考えてましたが,もうココには書きません(笑)

*4:この一文が,このスピーチのコアです.かなり悩み考え苦しみ産まれた一文です(笑)みんなが「おぉー」って言ってくれてかなり嬉しかったです.

 情報とはなんだ

先日,学部時代の先輩Hさんと(と言ってもこの2月に彼は助教になったわけだが)と飲みながら議論をしていて,
思ったコトをまとめておく.



コトの発端は,「テレビはもはや必要じゃない」という言葉.
新聞(かわら版)→ラジオ→テレビの次のパラダイムシフトがインターネットでは無いことは共通意見だったのだが,どうも議論が噛みあわないなぁ〜っと思っていたら.
そもそも情報というコトの概念がズレていることに気づいた.




Hさんにとって情報は事実や事象なのである.
つまりライブがベストであり,例えば野球放送の場合は実況は副音声*1で十分ある.
なので,Twitterなんて最低・最悪であり情報学の学士を持ってる人間がすることではないと言うのである.



ボクは真っ向から対立した.
いまの時代事実や事象を知っているなんて言う事に意味は無くなった.
ボク達インターネットの利用者のレイヤーに情報が降りてくる頃には,確実に2次,3次情報である.
事実や事象を知っている事に,意味があるのは1次情報を入手した場合のみである.
少し前までは,2次,3次でも意味はあった,それは情報の伝達に時間がかかりインセンティブを取れる期間があったからである.
しかし,今や2次情報以降のn次情報(n>1)は取るに足らない情報となりつつある.

これから必要なのは,事象や事実を見た多くのヒトが何を感じるのか?何を考えるのか?何を想うのか?
それが,本来の情報なんですよ.っと意見した.



情報の語源は,戦時中に,相手の軍隊の士気(すなわち「情」)がどの程度か報告することであったのである(って何かで読んだ気がする....)

つまり,情報の「情」を辞書で調べても解るように*2感情や心情の「情」なのである.っと





だから,Twitterで感情や思想をダラダラとしゃべり合うことに意味はあし,
その情報を使って利益を出すことはできると想う.
ノイズはあるし,ネタだよね?って思うことを本気で言ってるヒトもいる.
でも,本来の情報を共有出来るようになった.
っという意味ではネット社会も一つ階層を上がったのではないか?
なんて事を考えてると,情報工学じゃなくて,社会学的な情報学について大学院に行きたいなぁ〜
って,想う今日この頃....

*1:設定によってON/OFFが切替えられる

*2:思案所(しあんどころ)の意味 - goo国語辞書

Dear Doctor

西川美和監督『ディア・ドクター』公式サイト

家にDVDがあったので見てみた.
想像以上に良くてビックリ.

個人的に印象に残ったのは,最後のシーン.
都会で医師をしている娘が,田舎で畑仕事をしている胃がんの母を自分の病院に連れてくる.
母が病院で寂しそうにしているのに,母が目の届く範囲にいるので娘は安心した感じ.
っていうシーン.

親を子供の目の届く範囲に連れてくるのは本当に良いことなんだろうか?
実はそれは子供のエゴなんじゃないか?

どこで死ぬのか?厳密には死までの時間をどこで過ごすのか?
と言うのはもの凄く重大な問題のような気がするなぁ〜...

主題であるところの,「その嘘は,罪ですか」というのも...

ボクが好きになる映画は日本映画が多いなぁ〜

出かけないと駄目なのに,出遅れたし,なんだか気分が乗らないからやめた.
今年に入ってから気分が乗らない.去年始めたのにもぅ飽きたのかなぁ.
でも来週の火曜日からはガンバロウと心に近い今日はやめる.



時間が開いたので,本を読んだ.
年末に友人に勧められた森博嗣の本と,ボクが大好きな高城剛の本.

自由をつくる 自在に生きる (集英社新書)

自由をつくる 自在に生きる (集英社新書)


ボクと考えたかが似てると友人のMは言ってたたが,ホントに良く似てる.
自由という言葉を無責任とか無計画と同じ意味で使う人が多いけど,
この本ではそうではなく,自由の定義をタイトル通り「自由自在」としている.

ところどころ「ん?」って思う内容も合ったけど,それも自由に発想している証拠なんだろうなぁ〜
っと思う.


オーガニック革命 (集英社新書)

オーガニック革命 (集英社新書)


著者の本はボクは大好きだ.
最近の作家の本で読んでワクワクするのは著者ぐらいな気がする.
今回も面白い事をいっぱい書いている.
インターネットの時代が終わってるのはボクも思っていたけど,
それを文章に出来るのは彼ぐらいだろうなぁ〜っと思う.



IT業界で成功した人やIT業界に夢を見た人は中々インターネットの情報は古いとは言わない.
影響力の武器に書いてあった,コミットメントと一貫性に囚われているんだろうなぁ〜.



ところで,この本で知ったんだけど,結婚適齢期の女性が減少している.(*1)
ボクが今回の旅行で見た海外で働く日本人女性や日本人女性と欧米男性の夫婦が多いなぁ〜
って言うのは,決してたまたまじゃ無かったんだなぁ〜っと.
ただ,この先その人達がやっぱり日本に帰ってくるのか.
それとも,やっぱり日本は住みにくいと言って脱出する人が増えるのか?


まぁ,そんなセコイ事を言ってる時代じゃないわな.




(*1ちゃんとしたソースが出せなかった..)
女性の人口減 : Emiko Szasz

そろそろ合理化の意味を考え直す時期が来てるんじゃないだろうか?

合理化,合理化って叫ばれてるけど,実際行われてるのはただの経費削減.
ボクの考える合理化とは,以下の数式に落とし込む事である.

受取った料金 = 顧客が求めるサービス


普通じゃない?って思うかも知れないけど,多分日本の大半の企業は以下の式になってる.

受取った料金 = 顧客が求めるサービス + 付加価値


先日カンブリア宮殿で,りそな銀行再建の立役者 JR出身の細谷会長が特集されていた.
全然興味が無かったんだけど,思わうず耳を疑った.
会長業務を引き受けて店舗視察に行ったときに,
「お客様が立っているのに,どうして行員が座っているのですか?」
っと質問したと言う.
村上龍小池栄子も,同意したような感じでさらに驚いた.
ボクはこの話を聞いてものすごく違和感が湧いた.


なんで座ってちゃダメなの?
長時間立ってても体に悪いだけでしょ?


座ってても良いし,客が来るまでは好きな事してて良いよ.
読書をしても良いし,自己啓発の勉強をしても良いよ.
その代わり,ちょっと給料が安い.
それが気に入らないなら,語学でも資格でも取って転職してね



そんな風にする方が,社員は人生を楽しめるんじゃないかなぁ〜.
客がいない店内で,ひたすらボーっと立つ.
そんな無駄な時間に人生を費やす社員がボクは可哀そうで仕方ない感じがする.



同時に連想したのがスーパーのレジ.
あれも立ってる理由全然無いよね.
スペインでもハンガリーでもポーランドでも普通に座ってるよ.
ハンガリーなんて,買物カゴから自分で商品を出さないとレジ打ちしてくれない.
日本じゃ考えられないよなぁ〜.


なんか,そうやってドンドン自分たちの仕事を過酷にしていく連鎖がおきてる気がする.



例えば,一流ホテルでドアマンがドアを開けるのは今回の話題には入らない.
一流ホテルの使用料にドアマンの賃金まで入ってるからね.
それも含めて彼らが提供すべきサービスだからそれは納得.

でも,例えば銀行で行員が座ってて誰が困るの?
なんか変だよなぁ〜.

それとも,日本の顧客はそれを求めてて,ボクの感覚がずれてるのかなぁ〜...